『探究Journey』からはじまる学びのデザイン

4.「教える」ではなく「楽しく伝える」

青山
僕は粕谷さんのようなタイプの教員がもっと増えるべきだと思っているのですが、なぜ粕谷さんは残像が残っていないタイプの方になったのかなと思いまして。
おそらくガイドの方ってすごい知識をたくさんお持ちだからこそ全てを教えたくなる人もいたりするじゃないですか。でも、粕谷さんのやり方を拝見して、子供に考えさせる余地を多く残していたり、探究させようとしているなと感じました。
なぜそのようなスタイルになったのか聞いてみたくて。

粕谷
僕は、実は小学生の頃あまり頭の良い子ではなく、正直勉強がすごく嫌いでした。
今思えば「学校の先生の言っている事が理解出来ない=勉強がつまらない」だったんです。
そんな状況をみていた親が、小5の時に一生懸命になって僕にわかるレベルで教えてくれる学習塾を探してくれて。その塾の先生との出会いが今の自分に繋がっていると思っています。

その先生の教えは、「良い点を取る事より先に、まず勉強に興味を持つ!」でした。

例えば国語や算数では、文章や数式の解き方以前に、これが出来るようになるとこういった時に役立つ!とか、社会の歴史では、例えば「本能寺の変」はいつ起きた?ではなく、何故起きたのか武将の気持ちなってみよう!と言った切り口で、興味さえ持てば自然ともっと勉強したくなる。そんな楽しい教え方でした。そして、自分自身が「分かりやすい表現と、絵を使ったり現物を見ると理解し易い。」といったタイプだったので、それが今の僕のガイドのスタイルに繋がっているように思えます。

なので、ガイド中は「教える」ではなく「楽しく伝える」。
それが子供たちの興味に繋がれば、いいなと思っているので、例え大人のお客様からでも「勉強になりました」って言われると失敗したなって感じるんです。
先生でもないのにすごく押し付けがましく振舞ってしまったんだなって感じてしまう。
一方で、「すごい楽しかったです」って言ってもらうと成功した気がします。

青山
ありがとうございます。よくわかりました。
誤解を恐れずにいうと、おそらく粕谷さんが学校にフィットしていなかったタイプの人だからそうなれたのかなと。
僕も学校にフィットしていなかったので(笑)。
実は今教育現場にいる方は学校にフィットしてきた人ばかりなんですよね。

矢萩
しかも教育学部とか出ているからなおタチが悪い(笑)。

青山
そうそうそう。
矢萩さんもフィットしていなかったタイプですか?

矢萩
はい。僕は全然フィットしていないから不登校にもなりました(笑)。

5.その場での「問い立て」と、体験を「自分ごと」に落とし込む「振り返り」

矢萩
今回のツアーでのガイドで、粕谷さんの問いかけは本当にすごく分かりやすかったですよね。とても具体的なんですよ。この木の表面はなぜ傷ついていると思いますか?とか。
現物をこれって指さして問いを立てるっていうのはとても具体的。

結局、小学校や中学校でなかなかついていけないな、学校の勉強苦手だなって思っているお子さんは抽象思考が苦手なんですよ。
文字にしないと分からないとか、イメージが浮かばないとか。

でも現物を目の前に持ってきてこれ何だと思う?何でだと思う?ってこんな具体的な問いはないですよね。
だからみんなが同じように考えられるのです。
これってやっぱり旅ならではだし、教室の中でそれを全部やるのはなかなか難しいので。
誰でも同じように考えられる、フラットに戦える。そこがすごく良かったんですよね。

青山
僕もそう教わってきたし、そうしてますね。
例えば、子供たちが自分事としてイメージしにくい「農業」のことを学ぶというときに「農業とは?」って始めるのではなく、身近な「米粒」を持ってきて始める方が自分事になりやすい。それに近いかなと思って聞いていました。

矢萩
『探究Journey』ではそれを一番大事にしたいし、旅の中でそこからちょっと抽象へひっぱり上げたいんです。

青山
実際それをされようとしていましたよね。
椿油を搾る体験をした後に「油」をテーマにした探究ワークショップをするとかまさにですよね。

矢萩
そう。そういう風に色々なことを体験したその場で繋いであげたいですね。

青山
しかも早いタイミングでやるのがいいでしょうね。直後にやるのが理想ですよね。

矢萩
まさに。搾った椿油の重さや味を覚えているうちにやるのが大事です。

編集部
そこはもともとHIS「スタディツアー」の旅づくりでも意識されていますよね。
できるだけ旅の中で振り返りの時間を持つというのはコンセプトにもあったかと思いますが。

大田原
そうですね。 「交流」と「振り返り」という2つは必ず旅づくりに入れていて、何かあった時に必ず振り返ってそれをみんなでディスカッションするというのは基本フォーマットとして考えています。
ただそのやり方については矢萩さん独自というか、今回私の中でも新しい発見でしたね。
もともと予定していた振り返りだけではなく、その場その場の状況で、それこそ情報を伝えながらいろんなアプローチをされているのは私自身とても勉強になりました。

青山
「振り返り」っていうのは教育現場でも昔から使われていることなんですけど、それは単なる感想の言い合いになっていることが多くて。
矢萩さんがやられていた振り返りっていうのは、いま経験してきたことを子供たちの身近な知識や経験に繋げて「自分ごと」として落とし込んでいく作業で、今使ってきた思考回路をどう一般化していくかとか生活に使っていくかということを目指してやられているので、実はかなりすごい高い教育の手法だと感じました。教育現場でまさに取り入れたい手法です。

6.好奇心にフタをせず、主体的な学び手を育てる

大田原
今回ひとつ旅の中で気がついたことがありまして、お子さんが親御さんと一緒に歩いている中で親御さんが「あっち行っちゃダメ」とか、「こっち行っちゃダメ」とかあまり注意していなかったんです。
今回はたまたまそういう親御さんが多かったのかもしれませんが、そのあたりどのように感じましたか?

矢萩
そうですね。「本当にダメだと思うこと」を主観的に注意するのはいいけれども、「ダメかどうか分からないこと」とか「他の人がダメだと言っているからダメ」だというのはやめた方がいいですよ、というのはずっと言ってきています。
今後『探究Journey』をやっていく中で、おそらく「ちょっと何やってるの」とか「ちゃんと話を聞きなさい」みたいに注意する親御さんは出てくると思いますが、それに対しては体験の中で「その行動にはこういう意味や価値があるんですよ」っていうふうに意味づけるサポートを丁寧にやっていく事が必要だろうと思っています。

編集部
どうしても親の立場であれこれ注意してしまいがちなこともあると思いますが、 でも必要以上に言い過ぎないようにすることが大事ですね。
せっかくお金を払って旅先に来て子供の好奇心を引き出す環境が目の前にあるのに、そこで子供の好奇心を閉じ込めてしまったら本末転倒ですものね。つまり、探究のキッカケである好奇心にフタをしないことだと。

矢萩
そうですね。
「なぜダメなのか説明してください」と追求すると説明できないことって結構あるじゃないですか。
学校でシャープペン持ってくるなと言われたけどそれはなぜ?とか。
親御さんも、本当にダメだと信念から思っているわけでもないのに言っていることありますよね。
そこにまず気づこうよ、という流れは作りたいですよね。

青山
矢萩さんがおっしゃったことって矢萩さん自身の哲学が溢れているなって思うんですけど、おそらくそういうことを事前に保護者に言いましょうということではなくて、本当に本質に迫るような何かをしましょうっていうことだなと。
それが全てにおいてあって、何か伝えたいとか、学ばせたいときにどう仕掛けを作ってその本質に迫るような学びをデザインするか。そこを常に考えられてますよね。

でも、僕らは何か言葉で伝えようとか文字にして丁寧に説明しようとかって思ってしまいがちなんですが、相手からしてみればそれは与えられた知識で、受動的な学び手を育ててしまうんですよね。
主体的な学び手を育てようとされているからこそ、何かを学ばせたいときのアプローチをゼロから考えるという思考回路が、僕もそうしてきたつもりですけど、より必要なんだと思います。

矢萩
どうやったら気づいてくれるだろうかっていう、気づきやすくなるデザインをしていきたいですね。

青山
それ面白いですよね。
教育者としてはそこが一番面白いテーマですね。

7.チャレンジを恐れず、失敗から学ぶ

編集部
ビジネスの世界で、「詳細な指示書を作ってしまうと指示書通りにしか動かなくなってしまう」というジレンマがあると聞いたことがあります。
自分たちで考えて試行錯誤していくような職場の風土じゃないと、失敗を恐れて新しいことができない集団になってしまう。特に新規プロジェクトのように過去に事例がないような場合には、失敗から学びながらノウハウ化していくことが大事、だとか。

旅の中で失敗からも学べるんだってことを親子にそれぞれ気づいてもらえるとしたら、それはとても価値が大きいことだなと思いました。
でも学校の現場だと子供たちに失敗させるっていうのは難しくないですか。

青山
失敗させないようにさせないようにしていることが多いので、子供はどんどん受動的に受身的になってますね。
その繰り返しです。

矢萩
基本的には塾もそうです。「失敗」したときに「なんで失敗させたんですか」ってなる。
「失敗」を失敗というふうに捉えているともうそこから先へ進まないので、果たして「失敗」って何?ということをちゃんと考えるきっかけがたくさんあるといいですね。

編集部
各業界の先進的な取り組みをされている方の子育てを紹介している本があって、その中でアスリートの為末大さんが言っていたんですけど、子供に指導する時に、走ってると転んだりしますよね。でも転んだ時に大丈夫?って手を差し伸べないそうです。
差し伸べてしまうと、差し伸べられた側はそれが失敗だってインプットされてしまう。なのでそうではなく転んだら立ち上がって次のアクションを促すだけ。
転んでもそれは上手に走れるようになるための一連のプロセスの一過程でしかないので、転んでも怪我していないなら「次行くよー」ってそんなように振る舞うそうです。

短期的な失敗も長い目で見たらどうってことないし、小さなことでチャレンジを恐れるようになってしまう方が問題。
確かにそうだなと。

矢萩
僕も中学受験して進学校に行ったんですけど、毎年学校で通学途中に校門から校舎までの間で転ぶ生徒がいるんですよ。
で、骨折して救急車で運ばれる。
校門から校舎に行くまでに骨折する生徒が毎年必ずいるんですよ。絶対転んだことないなと、転び方も分からないんだなと。

青山
日本の学校建築ってそういう怪我をしないように安全に作る。
でも、オランダなんかは聞いた話なんですけど、あえてちょっと危険な階段とか危険な場所を作っておいて子供が自分たちで転んで痛い思いをするとか、もちろん大きなケガをしない程度に、そういう場所を作るっていう。
その建築の考え方、教育建築の哲学なんかも日本は失敗しないように失敗しないようにしている気がします。