「ブラタモリ」から学ぶ、アンコさんと椿の関係

2020年7月18日放送のNHK「ブラタモリ」にて伊豆大島を訪れたタモリさん、今回は番組で紹介されたお話についてダイジェスト版でお届けします。

「アンコ椿は恋の花」で有名な波浮港からスタート

昭和の大ヒット曲、都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」の舞台となった波浮港(はぶみなと)から番組はスタート。

「アンコ椿は恋の花」は1964年(昭和39年)に発売され大ヒットした昭和の歌謡曲。今でも、伊豆大島では椿まつりの時季に港で流れるほど島の人々には馴染みの深い曲。若い方はもしかしたら知らないという方もいらっしゃるかもしれません。

でも、この「アンコ椿」という言葉、実は伊豆大島では使われていない言葉なんです。
作家さん(作詞家さん?)は「アンコ」と「椿」をくっつけてしまいたいほど2つの言葉に密接な関係を見出していたのかもしれません。

そんな波浮港を散策

「実は波浮港はもともと火口なんです。」

タモリさんとガイドの西谷さんは波浮港のまちなみを散策します。西谷さんは島の地質や生き物たちの生態にも詳しい伊豆大島ジオパーク認定ガイドです。西谷さんから「道を歩いていて何か気づかれませんか?」とタモリさんに問いかけると、「まちなみに沿って続く道が丸く円を描いているよう」と気づきます。

そこで、港の方に足を運んで、周囲を見渡してみると“まあるい感”が。そう、360度ぐるっと火口だった壁に囲まれている様子がうかがえるのです。

Topic

森林インストラクター 西谷香奈さん

伊豆大島に暮らす人にお会いし、お話をお伺いする企画、その名も「島人Focus」。
今回は伊豆大島ジオパーク推進委員で森林インストラクターの西谷香奈氏にお話を伺いました。

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大いに賑わった波浮港

波浮港はもともと火口湖で、1703年の地震で発生した津波で海とつながりました。

もともと火口だから、周囲が囲まれていて、風に強い、天然の良港となったのです。

波浮港の先、南方約20kmには大室ダシという全国的に有名な漁場があり、全国から漁師が波浮港に立ち寄り、風待ち港として利用しました。当時はたくさんの船が港を埋め尽くすほどぎっしり停泊し、まちなかには多くの漁師さんが歩いて大いに賑わったという波浮港、珍しい木造3階建の旅館が建ち、伊豆の踊り子たちが踊りに来ていたそうです。

旅館もできて、芸者さんもいて、恋も生まれて、恋が終わって、「アンコ椿は恋の花」と綺麗にまとまったところで、次の目的地へ向かいます。

島の水事情とたくましい生活力

続いて訪れたのは大島の中心街とも言える元町へ。

唯一当時の姿を残し、平成28年に大島町文化財に指定された「元町南のハマンカー」を訪ねます。

島では水の湧く場所を「カー」、「カァ」と呼び、「川」から転訛されたと言われています。大島は火山島なので、地質は主に火山灰やスコリア、溶岩で構成されているため、保水性の乏しい地質、そのため、雨水は川になって流れるよりも地面の下にしみこんでしまいます。その水脈にあたる場所に掘った井戸のことを「浜の川」「ハマンカー」と呼びました。

「ハマンカー」は集落の近くの海岸付近に掘られますが、これは海水と真水の比重の違いを利用したもの。地表からは雨水がしみこみ、浜辺からは海水が浸水します。海水の方が比重が大きいので、海水が下に真水が上にと分かれることから、真水が汲み上がる程よい場所にハマンカーを設置しました。だから、「元町南のハマンカー」も浜辺から程よい距離のところにありました。そのため、真水を汲みすぎると海水が混じり塩分を含んだしょっぱい味に。もっぱら雑用水や家畜用として利用されました。

そして、毎朝、毎夕、ハマンカーに水を汲みにくるのは女性たちの仕事でした。

アンコさんが生まれたルーツを探る

つづいて野増地区にある水が滲み出ている場所に足を運びます。こちらの場所は現在も島の方々の大切な水源となっているため、場所の紹介は控えさせていただきます。

先ほどの元町南のハマンカーよりも海から離れた場所にある貯水小屋では海水の混じっていない真水が汲めます。その理由はやはり地質構造にありました。
「凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)」という水を通しにくい層があり、そこに水が貯まるのです。

水の確保のむずかしさから生まれたアンコさんの姿。
頭に水桶を乗せて運んだ方が手で持つよりも狭い道を進みやすかったことから、アンコさんの代名詞とも言える頭上運搬のスタイルが生まれました。

椿の島の秘密

次に、島に椿が多い理由を探ります。伊豆大島には椿が自生と植林を合わせて300万本あると言われています。

なぜ椿がいっぱいの島になったのか?
それは椿の木が防風林の役割として利用されていたことがあげられます。離島ゆえに周りにさえぎるものがない伊豆大島では風速10m超えの強風が年間平均122日で、1年のうちの3分の1にもなります。そんな強い風から家や農作物を守るのに椿は役立ちました。

では、なぜ他の木ではなく、椿なのか?

葉を見てみるとツヤッツヤのピッカピカ。これがワックスの役割を果たしているのと、“厚い葉”、厚葉木(あつばき)が訛って「ツバキ」となったと言われるように葉が厚いことから、潮風があたっても葉が傷つきにくかったり、たとえ噴火して火山灰が積もっても灰が葉に積もりにくい等、潮風や火山灰に強い葉を持つ椿の特性故でした。また、土をみると、空間があって根が張りやすい火山灰の土が椿の生育に良い効果をもたらしていました。

椿といえば椿油!

つづいて訪れた場所は100年前から変わらない製法で椿油を搾っている「高田製油所」さん。工場には甘く香ばしい香りが立ち込めています。

搾る際に使うこちらのネットは大正時代にはナイロンがなかった為、人の髪の毛で編んだネットを使っていたのだとか。

そして、「椿油は食べたらめっちゃ美味しい!」
「豚カツ揚げたら最高!」と代表の高田義土さんは語ります。

さっそく搾りたての一番搾りをいただきます。
「はじめての味!」とタモリさん。
最初に甘さが来て最後にほんのりえぐみがくる。これは揚げ物にすると美味しそう!

搾った後の油かすも昔はシャンプーやリンスに利用されていました。
油かすには「シャボン」の語源となったサポニンという泡立ちやすい成分が含まれており、手ぬぐいにくるんで絞って使っていたそうです。

アンコさんの美しい黒髪には椿油が一役買っていました。

Topic

有限会社高田製油所 高田義土さん

伊豆大島に暮らす人にお会いし、お話をお伺いする企画、その名も「島人Focus」。
今回は伊豆大島を代表する特産品である椿油を製造する高田製油所四代目の高田義土(たかだよしと)さんにお話を伺いました。

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アンコ椿は恋の花

というわけで、アンコさんと椿の関係。実は密接な関わりがありました。
過酷な火山島での暮らしを支えた椿とアンコさん。島の逆境が生んだ2つの宝。

地域に取り巻く様々な要因を探す旅。そして、そこから必然を見出していく。
ブラタモリさんならではの視点は旅をする際に訪れた地域をより深く知り、楽しむ視点として、いつも参考になることばかり。そんなタモリさんに伊豆大島を訪れていただいたこと、本当に嬉しいですね!

主な訪問先について

今回の主な訪問先(私有地等掲載不可な場所についてはのぞく)について、地図を掲載しておきます。訪問時の参考にご利用ください。