波浮比咩命神社は、バス停「波浮西岸」より徒歩二分、波浮の港の港口西口に鎮座し、大島に三社ある旧御社の一つで、『三宅記』によれば「事代主命」のお后である波布比咩命が祭神です。
『三宅記』は伊豆諸島がどのように生まれたのかが記された伊豆諸島の生成伝説を伝えるもので、室町時代の1430年〜70年頃に成立したと推定されています。
物語は、天竺(インドのこと)を追放になった王子が富士山の絶頂で神明にまみえ、後に三島大明神と名のり、伊豆の海中に次々に島を焼きだしていきます。“焼きだす”とは噴火のことですね。
王子は従って来た神々に「この伊豆の海中に十の島をつくりなさい」と命じました。
海中に三つの石を置き、一日一夜にして一つの島を焼き出し、更に海中の所々に石を置いて七日七夜のうちに、十の島を焼きだしました。第一に造った島を始めの島初島と名付け、第二の島を島々の中ほどに焼き出し、そこに神々が集い詮議した島であるから神集めの島神津島と名付けました。三番目の島は一番大きな島なので大島と名付けました。その後、四番目は潮の泡を集めて焼きだし、色が白いのであたら島新島、五番目は家を三つ並べたようなので三宅島、六番目は明神の御倉であるとして御蔵島、七番目は遥かに遠い沖島八丈島、八番目は、小島、九番目は竜の鼻に似ているのでりゅうこ島、最後の島は利島と名付けました。
三島大明神には五人のお后があり、大島に置かれたお后は「波浮の大后」といい、波浮大明神の祭神「波浮比咩命」とされています。この波浮比咩命と三島大明神の間に生まれた王子が「太郎王子おおい所」と名付けられた「阿治古命」で、野増にある大宮神社の祭神。また、弟は「次郎王子少ない所」すなわち「羽路命」で泉津にある波治加麻神社の祭神だといわれています。
さて、波布比咩命神社はこんもり青々と育つ樹木に囲まれ、海へと張り出すように鎮座しています。
参道は二本あって、一つは都道を海側へ折れ、北から入る道、もう一つは東側の海から上る道があります。いずれも入口に鳥居が立っていますが、本来の参道は海から上がる参道であるとされているそうです。よって鳥居の下の船着場から境内に入るのが正式な参拝なのだとか。
波浮の港の穏やかな風景の中に静かに佇む神社は、まさに「波浮の大后」にふさわしく、その場所に身を置くと女性的・母親的優しさに包まれるような包容力を感じます。木々の間から差し込む陽光、鳥居の向こうに見る海洋国際高校カッター部の学生たちが声を出して熱心に練習する姿、そして、ゆっくりと港に入る漁船や積荷を下ろす人々の姿など、周辺に流れる穏やかな時間と風景が重なり、波浮比咩命神社が地域で大切に守られてきた場所なのだというのがよく伝わってきました。
毎年夏には波浮比咩命神社祭礼が行われます。
初日は夜宮(奉納踊り)が行われ、子供から大人まで10曲以上の演目を踊ります。仲通りでは提灯の淡い灯りの中を神輿を担ぎ、大漁節を踊りながら練り歩きます。
翌日は神輿と獅子舞が奉納され、波浮の界隈は大いに盛り上がります。
獅子は各家一軒一件をまわりながら厄払い。とにかくよく動きます。夏の強い日差しの中で獅子やひょっとこが踊り狂う様子は一見の価値ありです。
※参考文献:東京都大島町史(民族編)、伊豆諸島を知る辞典、伊豆大島神社と寺
波布比咩命神社
Information
波布比咩命神社
〒100-0212
東京都大島町波浮港18
(バス停「波浮西岸」すぐそば)